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May 29, 2017 03:54 日本の医療ICTは周回遅れ「ヘルスケアビジネスをリフレームする」vol.3

昨年の暮れに塩崎厚生労働大臣の記者会見で、大臣がICTという言葉を使われた時に、非常に違和感を感じました。これは、第2回未来投資会議で「医療・介護分野に置けるICT活用」の発表を受けてのことだと思うのですが、それ以上にこの資料の中を見ると、「ICTAI等を活用した医療・介護のパラダイムシフト」という項目があり、さらに目眩がしそうになったことは言うまでもありません。その後、医療関連ではICTという言葉が頻繁に出てくることに気がつきました。先月ある大手電機メーカーの医療関連の催しに出向いた際も、ICTという言葉が頻繁に出てきましたし、講演でもICTという言葉が出てきました。

この違和感は、ICTという言葉、概念が1990年代に使われてきたものであり、それはまさに第3次産業革命の後半に出てきたものです。今更説明する必要もありませんが、定義としておさらいしてみるとITは情報技術そのものを指すものであるのに対して、ICTはその利活用を指していると言われています。日本では「e-Japan戦略」が策定されたのが2001年です。その後、2005年には総務省の「IT政策大綱」が「ICT政策大綱」に改称されて一般的ICTが広まった経緯があります。その本質はITを利活用することによる、人と人、人とモノを結ぶコミュニケーションです。では、第4次産業革命はいつから始まったか?というとドイツが2011年に「Industry 4.0」を産業改革プロジェクトとしてスタートしたことによると一般的に認識されています。この第4次産業革命の本質はAIIoTを活用した産業構造の変革です。特に製造現場におけるAIを使っての製造工程の管理などがその典型例でしょう。

話を戻して、私が抱く違和感というのは、医療産業を含めた医療業界では、第3次産業革命から第4次産業革命までの長い期間を跨いで変革が起こっているということです。実際のところ、未だ、電子カルテも導入していない医療機関は非常に多く、紙のカルテを使っている現場と、次回詳しくご紹介しますが、英国のNHSNational Health Service)がテスト導入しているAIを使った看護サービスとその差は歴然としています。一般の業種であれば、同じタイミングで技術革新が進んでいき、技術革新に乗り遅れた企業は市場から消えていくしかありません。ところが、医療業界では、どれほど技術革新に乗り遅れても困ることがありません。

よく医療業界はIT化が遅れていると言われますが、乗り遅れても問題はなかったということに起因するものと思われます。具体的な例をご紹介しましょう。皆さんも気づいておられることと思いますが、大抵の医療機関、特に診療所では、未だ現金のみの支払いです。しかも支払いの段階になるまで幾らかかるか分からないので、患者の立場に立てば、クレジットカードが利用できたらいいのにと思っている人は多いと思います。また、私の知っている医師は、過去に遡ってカルテを見ても手書きなら、その時の状況が思い出される、だから電子カルテは不要であると仰っておられます。さらに、職員の給与が現金払いという所も未だあります。

ただし、この傾向が続くことはないでしょう。その一つに、医療機関間のネットワーク化が進むことがあります。2014年から日本医師会が電子認証局をスタートさせており、また、先日(4月17日)に政府の未来投資会議にて安倍首相自ら来年4月の診療報酬改定において遠隔医療に対して評価をする(診療点数をつける)と明言しました。ネットワークに入れない場合、患者数が減ることになります。例えば、がん拠点病院で乳がんの手術をした後、自宅近くの乳がん専門クリニックで経過を診てもらう場合、拠点病院は患者データをやりとりできるクリニックを推薦することは想像に難くないでしょう。二つ目は前回お話ししたように、健康、医療、介護に垣根がなくなってきてシームレスなサービスが提供できなければ患者が来なくなる可能性があります。例えば、スポーツクラブでの運動量をクリニックでの参考資料にしたりすることも今後起こってきます。三つ目は、おっとこれはここに書くには微妙な問題があるので機会があればお話しすることにしましょう。

では、現在の医療業界でのテクノロジーのトレンドキーワードは何か?この2月にフロリダ州オーランドで行われたHIMSS2017Healthcare Information and Management Systems Society)で話題になったキーワードを最後にあげておきましょう。それは、IoT , telemedicine , AI , interoperability , value-based  care ,  population health , Machine learning , blockchain , patient experience , cybersecurity , AR , VR などなどです。次回は実際の事例をご紹介しながらこれらのテクノロジーを見てみましょう。

 


政策の影響を大きく受ける医療業界では、経営判断をする上で政治動向を捉えることが重要でした。しかし、山崎さんが語っておられるように、政治動向さえ押さえておけば適切な経営判断ができる時代ではありません。これからは、政治、技術、経済、社会が複雑に絡み合って市場が大きく変わっていくことが想定されます。不確実性の高い状況での経営判断を助けてくれるツールがシナリオプランニングです。この手法では、市場にインパクトを与えるトレンドを、政治(Politics)、経済(Economy)、社会(Society)、技術(Tecnology)の4つの側面から洗い出し、それぞれが持つインパクトの大きさと不確実性をベースに起こり得る複数の未来を描き出していきます。いま医療業界では、深い外部環境分析を踏まえて機会や脅威を適切に捉えることが不可欠になっているように思います。(mct/白根)


 

 

Hiroshi Yamazaki山崎 博史 株式会社ゲネサレト(gennesaret)代表 国内製薬メーカーでMR、営業企画部、情報システム統括部、マーケテイング部を経験し、アベンチャー企業に転職。企業のインターネットマーケティングのコンサルティング、セミナーや、大学病院、クリニック、医師会などへのコンサルティング、海外の投資企業への国内の医療産業に関するコンサルティングを行っている。 twitter @gennesaretcare

【タグ】 ヘルスケア,

May 29, 2017 01:24 五感のレベルでサービスをデザインする。

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こんにちは、白根です。

サービスについて顧客経験という視点からお話します。
普段わたしたちが行動するとき、意識しながらしているつもりはなくても、実際はその場その場でいろんな手がかり(クルー)を読み取り、次に起こることを予想しながら行動しています。例えば、ランチを食べにお店に入って「いらっしゃいませ」という店員の陽気な声を聞いたら、声のトーンから店に入れるだろうと予想し、店員と目を合わせるために声がした方向を見ます。あるいは、お店に入ろうとドアを開けて、店員が困った顔で近づいて来るのを見たら、店には入れないだろうと予想し、お店のドアを閉める準備をします。人間は五感の手がかりから次に起こることを自動的に予想し、そこに意識を集中しなくてもスムーズに行動できるようになっています。

こういった人間の特性を利用して、顧客がよりスムーズに行動できるようにやりとりをデザインすることができます。顧客とのやりとり(インタラクション)に沿って、顧客が五感で感じる手がかりを洗い出します。手がかりは、壁に貼られたポスターや店内の音や匂い、テーブルや食器の材質など、五感で感じる全ての要素を含みます。顧客がこれらの手がかりから何を感じ、何を予想し、何をしようとするのか。スムーズな行動をサポートしている手がかりは何か。行動の障壁になっている手がかりは何か。矛盾するような予想を与えている手がかりは何か。顧客の行動パターンを五感のレベルで理解することで、顧客の予想を先回りして、五感の手がかりを使って適切なやりとりをデザインしていきます。五感の手がかりに支えられた「スムーズな行動」は、顧客に強いポジティブな感情をもたらします。

さて、人間は、手がかりによる予想が外れたり、手がかりを使って予想できない状況になると、緊張し、意識を集中させて判断しなければならなくなります。例えば、近づいてきた店員が困った顔で「いらっしゃいませ」といったら、お客さんは当惑し、お店に入るべきかどうか考えてしまうでしょう。このような状況を作ってしまうことは「スムーズな行動の提供」というレベルでは完全に失敗です。ところが、サービスによっては、顧客の緊張や意識の集中が重要な構成要素になっていたりします。例えば、メニューがフランス語で書かれている、服のタグに価格表示がない、入口がどこにあるのかわからない。高級店ではあえて手がかりを与えないといったことがよく行われます。このような緊張や集中を伴う体験は強い印象をもたらします。一連の体験がもし最終的にポジティブな感情とともに「特別な出来事」として記憶されると、顧客は再び「特別な出来事」を体験するためにそのお店を訪れます。そしてその体験は、回を重ねる毎に特別な記憶とともに、慣れ親しんだ「特別なルーティン」へと変化していきます。顧客とサービス提供者が「特別なルーティン」を分かち合うことがサービスの究極的なゴールなのかもしれません。

「スムーズな行動」以上のサービスをデザインするには、自社の業界だけではなく、様々な業界で行なわれている手がかりを広く収集します。その時のポイントは「特別な出来事」の手がかりだけでなく、「スムーズな行動」の手がかりも、慣れ親しんだ「特別なルーティン」の手がかりも収集すること。そして、それらの手がかりが、長期に渡って全体としてどのようなストーリーを作り、顧客にどのような感情を提供しようとしているのかを読み取ることです。

mctでは「クルースキャン」というツールを使って、このような手がかりの収集・分析をクライアントやクライアントの顧客と一緒に実施しています。クルースキャンはシンプルなツールですが、サービスをデザインする上で、五感に訴求する重要なインサイトを与えてくれます。ご興味をお持ちの方はぜひお問い合わせください。

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Hideaki Shirane株式会社mct CEO / ストラテジスト

May 26, 2017 01:47 ショッピングカート Shopping Cart

アメリカに行った際、健康志向のスーパーマーケットであるWHOLE FOODSに立ち寄ることがあるのですが、そこでいつも「日本とは違って面白いな」と感じることがいくつかあります。その一つが今回ご紹介したいショッピングカートの件。When I go to the US, I may stop by WHOLE FOODS, a health-conscious supermarket, but there are a few things that always feel like ‘Oh, that’s an interesting difference…’ One of them I would like to introduce is the shopping cart.

日本では買い物カゴをショッピングカートに載せて運ぶのに対し、アメリカでは食べ物をショッピングカートにダイレクトに入れる。よく、「車社会のアメリカでは大量に食べ物を買うためショッピングカートが巨大」といった記事を目にしますが、僕が着目したいのはそこではありません。食べ物を金属のショッピングカートにダイレクトに触れさせることに対する日米の感覚の違いです。In Japan, plastic shopping baskets are carried on shopping carts, whereas in the United States food is placed directly in the shopping cart. Well, I often see an article saying "The shopping cart is huge in order to buy a large amount of food as America is a car-based society,” but that is not what I want to consider about this time. Rather, it is another difference between Japan and the US about food touching a metal shopping cart directly.

日本では金属の網に食べ物を直接載せることは何だか避けられる。しかし、米国では平気。この違いは何なのか?米国出身のEricと話をしてみました。In Japan, people generally take care to avoid putting food directly on the metal cart. However, in the United States, it seems not to be an issue… What is the difference? I talked about this with Eric from the US.

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日本人としては「食べ物が傷つきそう」という感覚があるでしょう。そしてその背後には「食べ物を傷つけたくない」という、一つひとつのモノへの配慮の心があります。おそらくこれは「モノに魂が宿る」というアニミズムの思想も根源です(もちろん、食べ物が傷まないという点も大きいですが)。モノに人格を見出し、乱暴に扱ったら可哀そう、モッタイナイという気持ち。幼少期から「乱暴に投げたらオモチャが可哀そうだよ」と教えられることで、このマインドセットが出来ていくのだろうと思われます。As a Japanese person, we may have the sense that "food is likely to get hurt.” And behind that there is partly a heart of consideration for every thing that "I don’t want to cause it pain.” Probably this is the idea of animism that "souls live in things,” finding personality in things. And if treating roughly, we then feel sorry about it, a feeling of “mottainai”. It is believed that this mindset will develop from childhood, being taught, "If you violently cast a toy, the toy will cry."

それをEricに話すと、全然違う角度で答えが返ってきました。アメリカではモノに心があると考えられている訳ではないが、人や宗教・信条などの表象(=アイコン)となるという感覚がある。アニミズムではなくて、アイコンとしてのモノ。アイコンとして考えられているモノには背後に意味があり、その取り扱い方は、そのアイコンの背後にある意味に対する配慮の度合いに比例する。As I discussed this with Eric, the answer returned at a completely different angle. In America, and in the West, things generally do not have a spirit like humans, but instead come to represent concepts such as people, institutions, or beliefs. Instead of animism, it is iconography. How you treat things, then, reflects your sense of care or respect around the concepts an object represents.

具体例を挙げると、国旗を乱暴に取り扱ったらその国に対して配慮がないことを示す。おじいちゃんの道具を乱暴に扱ったら、おじいちゃん自身をないがしろにしたことになる。ただし、日本のように道具が可哀そうという感覚とは違う。で、ダイコンやニンジンはアイコンの意味合いを持たないモノなので、丁寧に扱うという意識にはならないということでした。For example, if you handle the national flag in a rough way, you are in effect, not caring about the country it represents. On a more personal scale, let’s say you carelessly use or misplace your grandfather’s tools. Then it would be as if you have carelessly treated grandpa himself. However, it is different from the feeling that tools themselves will cry sadly like in Japan. Returning to groceries, they see that daikon root and carrots do not reach the icon level, so it is not necessary to be conscious of careful treatment.

ただ、日本でも、菓子パンの入ったビニールの袋にまで魂が宿る感覚はないので、大事にするモノの範囲が国によって違うという視点でも捉えることができるとは思います。蚊を殺したくない国というのがもしあれば、その国の人にとっては日本は残酷な国に映るかもしれません。However, in Japan, there is no feeling that the soul will stay in a plastic bag containing a pastry bread, so I think that you can also capture this phenomenon from the viewpoint that the range of things you care about differs from country to country. If there is a country that does not want to kill mosquitoes, then for them, Japan’s perspective on mosquitoes may be seen as cruel.

今回はショッピングカートへの食べ物の載せ方の違いから、日本のアニミズムと米国のアイコンの話へと流れていきましたが、かすかな行動の違いから大きな文化の違いが見いだせる例としてご紹介させていただきました。This time, thoughts about the shopping cart flowed to the story of Japanese animism and the iconography in the United States, but I want to introduce this as one example where a big cultural difference can be found from the difference in seemingly faint behaviors.

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Takeshi Sato株式会社mct ストラテジスト

May 19, 2017 12:24 国民性 Nationality

社会科学者のHofstedeは、国による平均的な国民性の違いを6つの指標をもって表現しました。権力格差の大きさ/個人主義の度合い/ジェンダー差/不確実なものを避けたい気持ちの大きさ/未来視点か現在視点か/自制心の大きさといったものです。例えば日本では「不確実なものを避けたい気持ち」が高い数値となっているのですが、確かに、気軽に会社をやめて起業してやろうという風潮になかなかならないことからも納得できます。 Social scientist Geert Hofstede has famously expressed key differences in the average national character of a country with six indicators. Power Distance / Individualism vs. Collectivism / Uncertainty Avoidance / Masculinity vs. Femininity / Long-term Orientation vs. Short-term Orientation / Indulgence vs. Restraint.  For example, in Japan, Uncertainty Avoidance is a high number, and it is certainly convincing from the fact that it is not easy for Japanese employees to quit their company and start a new business.

以下は日本とベトナムでその数値を比較したものですが・・・Below is a comparison of the figures between Japan and Vietnam:

Hofstede.jpgReference:https://geert-hofstede.com/countries.html

この数値についてベトナム人スタッフのMinhさんに話を聞くと、例えば、Masculinityが低いベトナムでは夫婦の「手が空いている人が家事を行う」という家庭も多いようで、まだまだ女性が家事をすることのほうが多い日本とは確かに状況が違うようです。また、ベトナムでは南部のほうがそういったオープンな気質が強いそうで、それらは、歴史背景であったり、元々あった町・村の伝統を加味して説明することができるとのこと。Ms. Minh, a Vietnamese staff of mct, has said, regarding the figure for lower value for 'masculinity', it seems that many families in Vietnam approach housework with the mindset of "those who are available at the time should do the housework." It seems that the situation is different from Japan where women still predominantly do the housework. The further one heads South, the more likely they are to detect people embracing such open temperament. The variety of historical background, economic strengths, and the extent to which traditionality is embedded among regions that span from North to South should be able to provide an insightful explanation.

さて、こういった学術的なデータの使い方としては「エスノグラフィの結果の解釈に使う」のがお勧めです。自分の解釈した現地のストーリーを、これらのデータを活用してさらに深い解釈へと進めていく。n数が少ない場合の数的な保証になる場合もあります。In the development and interpretation of ethnographic research, it is recommended to use such academic data and theory. We can use such data to further deepen the interpretation of the local stories. There are also times when it helps give credence to results when respondent number is small.

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Takeshi Sato株式会社mct ストラテジスト

May 17, 2017 10:00 見えているのに見ようとしない医療と健康の分断「ヘルスケアビジネスをリフレームする」vol.2

このコラムはHealthcareを制度や今後のITに絡ませて書く予定ですが、その前に、もう少し全体を見渡すために前回同様、街を俯瞰的に見ますので、ご了承ください。

ニュータウンに限らず街を見渡してみると、ランニングをしている人をたくさん見かけるようになりました。若い人もいれば、年配の人もいます。また、郊外であれば、歩く会で多くの人がリュックを担いで歩いておられます。駅前にはフィットネスクラブがあります。私は鎌倉近辺に住んでいて、天気の良い日は鎌倉の山を登りますが、こちらにも多くのハイカーが汗をかきながら自然を満喫されています。

フィットネス経営情報誌を発行している(株)クラブビジネスジャパンの資料によると、2010年に3,474施設だったのが、2015年には4,661施設と増えています。また60歳以上の会員数が増えているのも特徴的です。実際に、私もあるフィットネスクラブに入っていますが、昼間はほとんどがシニア世代です。

また、市民マラソンの規模も非常に多くなっていて、全国で2,000以上のイベントが行われていて、飽和状態になっているそうです。走るのではなく、歩くを主眼に置いたウォーキングイベントもほぼ毎日、日本のどこかで行われています。私の友人はヨガを楽しんでおり、室内以外にも公園や浜辺でやはり多くのヨガファンが集っています。おそらくこれほど健康のために運動をしている人が多いのは過去になかったのではないかと思います。特に、ランニングは東京マラソンが2007年に始まってから、「観るスポーツ」ではなく、「自分で行うスポーツ」に変化していき、これが他のスポーツにも広まっている感があります。

一方、高齢者を送迎するデイサービスの車も非常に多く見かけるようになりました。その中で、要介護度が低い状態でなるべく自身の身体機能を維持するためにリハビリテーションを行っています。このリハビリテーションには理学療法士、作業療法士、言語聴覚士などの資格を持った方々が、サポートをしています。理学療法士は、病気や事故などで身体に障害や不自由さを抱える人、また高齢により身体機能の衰えた人などに対して、医師の指示の下でリハビリテーションを行い、運動能力の回復を援助する仕事です。作業療法士は、病気やケガなどが原因で身体に障害や不自由さを抱える人に対して、医師の指示の下でリハビリテーションを行い、日常生活に必要な能力を高める訓練や指導をする仕事です。そして、言語聴覚士は言語障害がおこってコミュニケーションが取りにくい人などをサポートする仕事です。つまり、リハビリテーションには、歩く、走る以外に箸や茶碗を持つ、コミュニケーションが取れるように発声の訓練をするなど、様々な筋肉を元に戻すようなものがあるのが特徴です。

さて、視点を変えて、医療や介護という側面から見てみましょう。医療機関は、病気や怪我を負った人が訪れる場所です。介護事業所は介護を必要とする人が集まる場所です。実は、これはサービス提供者側から見た区分です。医師は受診に訪れた患者と初めて会って、検査をして患者のバイタル状態を知ります。そして治療を行い、病気が完治すればそれでこの患者との接点は無くなります。介護では、要介護状態を自治体の職員が面談して認定調査票を書き込んだ後に認定審査会で要介護度が決まって介護サービスが始まります。介護が功を奏して、自立できる状態に戻れる人もいれば、そのまま要介護度が上がっていき、亡くなられることもあります。どちらにせよ、医療機関も介護事業所もこれから必要とされるサービスであることは間違いありません。

では、これほど私たちが健康に気を遣っていても、病気になるときは病気になるし、介護も自分ではまだまだだと思っていても介護が必要となるのはどうしてでしょう。病気や介護に必要になった時にはプロフェッショナルなサービス提供者がいて、必要な指導や処置、サポートをしてくれます。しかし、健康な時は、身体に対するプロフェッショナルな提供者はいません。それは、私たちが生まれてから死ぬまで連続した一個体であり、バイタルデータも連続しているのに、サービス提供という側面から見ると、分断されてしまうことにあります。

私たちは、学校の健康診断、会社に入っても健康診断と頻繁に体の状態をチェックしています。そして個人でも体重計や血圧計などで体のチェックをしています、が、これらのデータを的確に診断、サポートする提供者が存在しないことにあります。もう一度述べますと、病気になって医療機関にかからない限り医師などのプロフェッショナルな助言、指導を受けることができないのです。では、みなさんどうしているかというと、ネットで健康情報を見て、素人判断するしかないわけです。ここに付け込んだのが一連のキュレーションサイトであると言っても良いでしょう。

最近のニュースでfitbitやjawboneなどのウェアラブルデバイスがパーソナルな提供から医師などの医療機関での使用を目指していると発表しています。これは先ほど述べてきた分断を連続したものにしようという動きです。健康な時からウェアラブルデバイスを使い、その時々で医師がサポートしていくという流れです。しかもその先には病院の機能さえも変えるイノベーションが起こると言われています。マウント・サイナイ・アイカーン医科大学の理事、エリック・シャド氏は、uberが自身が車を持たないビジネスモデルであることから、未来には現在の病院というものが無くなると予測しています。

私たちが医療ビジネスを考える場合、現在の提供者側からロジックで考えると非常に狭いビジネスモデルになるとともに、この先ビジネスモデルそのものが成り立たなくなる可能性があります。街を見渡し、私たちが生まれてから死ぬまでどのような生き方をしているか、私たち自身からビジネスモデルを考える必要があります。すでに、壁は取り除かれています。


業界の常識や慣習を受け入れるか、疑問を持って捉えるかで、取り組もうとする分断の大きさが変わってきます。業界の常識や慣習に従う限り、大きな分断=大きなイノベーションの機会を自分事として捉えることができません。大きな分断に取り組むには、業界の常識や慣習の枠を外し、自社が想定している製品やサービスの範囲を超えて、顧客が本当に求めていることに沿って体験全体を理解する必要があります。顧客のゴールをどのようなレベルで捉えるかが大きなポイントになってきます。
別のアプローチとして、いまは離れている業界と業界を重ねてみて、その重なりの中に顧客が本当に求めていることがないだろうか、という視点で強制的に発想するコンバージェンスマップも効果的です。(mct/白根)


 

Hiroshi Yamazaki山崎 博史 株式会社ゲネサレト(gennesaret)代表 国内製薬メーカーでMR、営業企画部、情報システム統括部、マーケテイング部を経験し、アベンチャー企業に転職。企業のインターネットマーケティングのコンサルティング、セミナーや、大学病院、クリニック、医師会などへのコンサルティング、海外の投資企業への国内の医療産業に関するコンサルティングを行っている。 twitter @gennesaretcare

May 12, 2017 02:35 2017年度のDMNワークショップが始まります!

 

こんにちは、白根です。いよいよ2017年度のDMNワークショップが始まります。第1回は522日、23日、世界の最先端で活躍するビジネスデザイナー濱口秀司氏のイノベーション塾「SHIFT」です。

http://mctinc.hs-sites.com/dmn/dmn_workshop/

mctでは、昨年からDMN(ダイヤモンドデザインマネジメントネットワーク機構)の企画・運営を担当しています。そこで、あらためてダイヤモンド社の歴史を調べていたところ、『季刊グラフィックデザイン』という伝説的な雑誌の話が出てきたので、思わずネットで一冊購入しました。届けられた19628号をめくってみると、編集長は、後に東京オリンピックのデザイン専門委員長を務める勝見勝。表紙デザインは大橋正がこの号のために制作した版画作品。勝見勝自ら国内外3人の新人デザイナーを紹介し、本誌のアートエディターを務める原弘は、アメリカの雑誌『マッコールズ(McCall's)』を紹介しながら、エディトリアルデザインについて考察しています。「印刷実験室」というコーナーでは、特殊な紙やインキを使って自由なデザイン実験が行われています。ところどころ2ヶ国語になっていて、海外向けに$5.75という価格が設定されいます。奥付には企業広告ページの制作者のクレジットがしっかり2ヶ国語で表記され、誰が制作したのかわかるようになっています。創刊当初から海外の読者を想定し、日本から世界にデザインの考え方や実践を発信する勝見勝の編集方針は『季刊グラフィックデザイン』に参画するクリエイターたちを大いに鼓舞したであろうと想像します。

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『季刊グラフィックデザイン購入したのは、ダイヤモンド社が『季刊グラフィックデザイン』を出版していたという事実を知ったからです。調べてみると、1961年の6号から1967年の29号までの7年間、ダイヤモンド社が『季刊グラフィックデザイン』を出版しています。ダイヤモンド社は創業者の石山賢吉が1913年に月刊『ダイヤモンド』を創刊したのが始まりですが、その40年後の1953年、彼は70歳を超える年齢でアメリカに渡り、会社や工場の視察で得た知見を日本の会社の「発奮を促すため」に『アメリカ印象記』という本にまとめます。「わたしはアメリカの外形よりも精神を学ぶことを心掛けた」と書かれています。ジャンルは違いますが『季刊グラフィックデザイン』同様、日本を世界レベルにしようという気概を感じさせます。石山賢吉のリーダーシップのもと、ビジネス書のトップブランドへと成長していくこの時期、ダイヤモンド社がどのような経緯で『季刊グラフィックデザイン』を出版することになったのか興味が尽きません。

  

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1986年に100号をもって『季刊グラフィックデザイン』は休刊します。4年後の1990年、ダイヤモンド社のDMN(ダイヤモンドデザインマネジメントネットワーク機構)がスタートします。当初、DMNは企業のデザイン部門を対象に海外の最先端のデザイン動向をリサーチし、レポートするサービスを行っていましたが、1996年に深澤直人のディレクションによるWITHOUT THOUGHTの提供を開始するなど、やがて経営におけるデザインの役割、社会におけるデザインの役割を、デザインやイノベーションの最前線で活躍する人たちと共に考え、実践するネットワークへと成長していきます。目指す方向が『季刊グラフィックデザイン』や『アメリカ印象記』に近づいていっていることに驚きを感じます。そして2017年、今年度のDMNワークショップも、日本から世界最先端の考え方や手法を提供しようという考えをもとに企画されました。世界的な視野で経営とデザインを捉え、日本からイノベーションを生み出す最高の機会として、2017年度のDMNワークショップへのあなたの参加をお待ちしています。

 

Hideaki Shirane株式会社mct CEO / ストラテジスト

【タグ】 DMN,

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